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ホームページリニューアル

  • 執筆者の写真: ふじおかんたろう
    ふじおかんたろう
  • 1月11日
  • 読了時間: 9分

あけましておめでとうございます。


という言葉と共にリニューアルHPを公開しようと思っていたら、すっかり間に合わず1月11日。


そもそも、昨年の夏にリニューアル写真を撮影して秋には公開しようと思い叶わず、せめて12月の誕生日にはと思い、今に至ります。(撮影会ではたくさんの方にお世話になりました!改めてありがとうございました。リニューアル写真についての解説もいずれしたい。。)


2026年の抱負の一つに「ゆとりある暮らし」があるわけですが、さっそく〆切に追われております。


とはいえ公開。あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。


2025年を少し振り返り、2026年を少し語ります。


リニューアル写真は山岸和人さんにお願いしました。
リニューアル写真は山岸和人さんにお願いしました。

2025年

俳優としては、3作品の舞台に関わりました。

◎avenir'e 『ジュリアス・シーザー』

アントニー 役

◎あやめ十八番『草創記 金鶏』

佐渡玄太 役

◎やしゃご実験室

並木誠 役


3作品とも見事に演劇の魅せ方が違う。

シーザーは、シェイクスピアの豊穣な言葉をリアリズム演技の組み立て方でヒリヒリとした対話として立ち上げ、

あやめでは、エンタメ外連のお芝居の中にどう芯を通し届けていくかに苦心し、

やしゃごは、岸田國士の世界観を現代口語で、力まず狙わずやわらかく、そこにいることからはじめました。

どの役もお芝居もとても思い入れがあるよき時間でした。

個人的な発見は、僕はさまざまな手法に自分を合わせていくことが結構好きなのだなということ。俳優藤尾の組み立て方は、あるといえばあるけど、それは自分の内側で筋を通せばいいので、どういう方法論で届けるかは作品に合わせて変えていく。それが結構好きでして。そしてこれは、宣伝美術のお仕事でも一緒で。

自分なんて透明でいいから、作品が届けたいことに寄り添う。それは僕の特性のひとつかも知れません。


本当に、携わった3作品の、どの演技体も好きです。とくに、あやめのどちらかというと「魅せる」身体でのお芝居、スポットライトを浴びる身体でのお芝居が少し久しぶりで、「ああ、僕はこういう場所もかなり好きなんだな」と久しぶりに思い出せました。

ナチュラルな自然体も、ゴリゴリ削ぎ落とした負荷の高いリアリズムも、存在感やエネルギーで劇場空間を掌握すること(していいこと)も、ぜんぶ楽しい。

もともと犬と串で、じゃんじゃんに大見得切るお芝居をしていたので、藤尾勘太郎わりとエンタメ芝居と相性よいと思います。お仕事お待ちしております。


朝の連続ドラマ『あんぱん』鰐口 役

高知の方言を一生懸命身体に馴染ませてのぞみました。とても楽しく、そして、もっとたくさん出演したいと思ったりもしました。そうあれるように、つまり、そう求められるようにがんばりたいと思います。


◎観劇では50作品ほど観まして、これもいつかまとめて書きたいですが、

個人的2025年ベスト5


・新国立劇場『焼肉ドラゴン』

・劇団鹿殺し『THE SHOULDERPADS』

・ゆうめい『養生』

・マームとジプシー『curtain call』

・ぱぷりか『人生の中のひとときの瞬間』

でした。よき観劇は未来を照らす。



◎宣伝美術

年間33作品。

この携わった数というものは、数字は、ある意味裏切らないというか、よりどころになってしまうというか、「これだけがんばりましたよ」という指標になる。なってしまう。

ここ数年はだいたい30作品前後なので、例年通りと言えばそうだが、俳優として3作品関わりながらのお仕事はなかなかに苛烈であった。これは、長らくの課題で、そろそろいい加減に携わる作品数を減らさねばと考えている。

個人的な再発見は、俳優として舞台本番を終えて数週間は、デザインの勘が少し鈍る。若干のリハビリ期間というか、「できる予感しかない」状態への移行に少し時間がかかる。真冬のエンジン。(一昨年のまとめブログを読むと同じようなことを書いている。。)


◎宣伝美術会議

ある意味、昨年1番予想外であったイベント。「出会えると思っていなかった人とも出会える」という概念が突然僕の隣の席に座ってきたような、人生の。

たくさんの刺激を受け、憧れ、もっと上手になりたいと思い、逆に自分を見失い、あれ?僕どうやってデザインしていたんだっけ?とか、このままじゃだめだとか、スランプに片足を突っ込み、その後、

結局「僕は、僕にできることしか、できない」という元々持っていた価値観に返ってくる。

あれ?僕はもっと僕のセンスを信じていいんじゃない??

という結論にかえってくる。


「まだまだ青い、学ばねば!」

と思う気持ちも大事なのだが、

ものづくりの世界で「誰かがやっていること」を、僕は絶対にできない。

さまざまなな意味で。

ひとつは僕は誰かではなく、まったくの別人なので、そもそも同じ創作はできないということ、もう一つは、「他の誰かがつくれるものをつくる」ことに、あまり価値は発生しないということ。練習としての模写ならいざ知らず、結局創作の世界では、自分にしかできないことをしないと、意味ないよなあと、他の人がやってることやってもしょうがないよなあと、まあ、美大一年生が入学してすぐに直面しそうな命題に戻ってくる。(美大行ったことないからイメージだけど。)


逆に言えば、「僕にしかできないこと」は他の誰かには決してできない。自分らしさなんて知らないけれど、なぜだか宣伝美術会議を通して、「デザイナーとして青い部分甘い部分はたくさんあれど、あなたはおもしろい宣伝美術家だよ。そのままいけよ。何迷ってるんだ。自信をもってのびのびいけよ。」そう言われたような心地がしました。(前半の批評は僕が僕にどうしても付けてしまう、批評家藤尾の言葉)

補足:とはいえ、創作における「自分らしさ」とはなんぞや?!という問いには、あまり興味がありません。犬に食わせておけといった気分です。オリジナリティって何だよとも思うし、創作はこれまでの歴史の上に立脚しているので、真にオリジナルなものなんてそうそう生まれない。逆にオリジナルに感じるものが生まれたとしても、多くの場合、個人で成し遂げたなんて言えるものが本当にあるのか疑わしい。けれど、同時に自分は自分。どちらかと言えば、結果に対しての「自分らしさ」よりも、過程における「自分らしさ」を大切にしたい。創作の過程こそ、人によって違う。これまでの経験も違えば、物事への感じ方も違う。憧れの人と同じ登山口から登っても、その轍を踏みながら歩いても、その人と同じ場所には辿り着けない。最短で登りたいのか、草花を眺めながら登りたいのか、険しいほど興奮するのか、そこでの出会いが楽しいのか、「何を喜びと感じるか」がまるで違うからだと思う。


キャンプ
キャンプ

2026年

どんな年にしたいのか。

おかげさまで俳優としては、ワンデイの出演も含めればすでに4作品への参加が決まっている。宣伝美術もとりあえず半年ほどは埋まっている。

その上で、ゆるやかな変革の年にしたい。


「出会い」を増やしたい。


自分の哲学を、たいせつにすることへの照準をもう少し明瞭にしたい。

ゆるりとゆとりを持って過ごしたい理由のひとつに、「自分は何を大切にものづくりに関わるのか」を改めて見つめ直したい気持ちがあるのです。締め切りに追われて生きていると、何かを深く見つめる間もなく、時間は過ぎていきます。

自分自身が透明で構わない想い自体は変わりません。けれど、その上で、どんな作品に俳優として「関わりたい」のか。宣伝美術家として、どんな雰囲気・意思をもったフライヤーを「つくっていきたい」のか。もう少し意図的というか、狙っていってもいいかもしれないと思いました。

これまで比較的雑食な活動をしてきましたが、自分が大切にしたいことに近い場所をより掘り進んでみたい気持ちが出てきました。


ここまでの舞台のご縁を大切にしつつ、新しい出会い、特に大劇場の公演に出演してみたい。また、「現代」をどう思考するかに関心の強い演劇にもっと関わってみたい。

これまでと違う畑の演劇作品に参加したい気持ちがあります。


宣伝美術の基礎体力を高める。

ただし、この「基礎体力」というものは実は厄介かもしれないとも同時に思います。何かに縛られることになりはしないかという不安はあります。けれど、例えば技術なんて関係ないみたいなチラシも好きだけれど、やっぱりあるラインから先へ行こうと思ったら基礎体力は不可欠だよなあと思うのです。これはきっとあらゆる創作に言えることですね。そしてやっぱり強硬なデザインというものは軽やかで明瞭で、僕はそこにいきたいのです。


インドにでも行こうか

毎年海外に行きたいと思いました。昨年はロンドンだったので、今年はずっと気になっていたインドはどうでしょう?


ドラマトゥルクやってみたい

「ドラマトゥルク向いてると思う」そんなことを1年に一回ぐらい言われる気がします。

やったこともないし、ちゃんと調べてもいないけれど、ドラマトゥルクって、演劇の現場で演出家の作品創作の右腕を担う存在だと思っています。演出助手よりもう少し作品に突っ込んで意見する人。ハード的なお手伝いというよりソフト的なお手伝いに特化した人。

宣伝美術の仕事は、(少なくとも僕の場合は)「聞き取り」が一番ぐらいに大事な仕事です。そこで、つくろうとしているものの骨格や核をすばやく掴み、そのより奥にあるものを把握し、またその作品全体にはどんな装飾が施されるのか、つまり作品の質感を、その匂いを嗅ぎます。(少なくとも僕の場合は)それがすごく大切な時間で、そんなことを普段繰り返しているものですから、とにかく「汲み取る」「対象に入り込む」こと、そしてそれをどう発展させるかをやや俯瞰で整理することには比較的慣れています。し、縁の下のリベロみたいなこと、割と楽しくやれる気がするので、やってみれたらいいな。



まだまだ書きたいことはありそうですし、も少し推敲した方がいい気もしますが、ひとまず締め切りが迫っておりますので、仕事します。また書きます。


あ、最後に、昨年ふと思ったこと。

「つくっている間」は、やっぱり頭は使えない。ちゃんと頭使ってるデザインっていいなあ、「技術」あるっていいなあと思ったりするのだけれど、やっていて気づきました。つくる時は勘でいい。結局勘でいい。雑に言えば「こんなもんかな?」でいい。「こんなもんかな?」は卒業しなきゃなのだろうかとか考えて悩んだ時期もあったけれど、勘でいい。直感でいい。「何となく気持ちいい」は大切な軸だ。逆に言えば、無意識や勘・直感だけでつくっているのに勝手に担保されるクオリティこそが「技術」なのだろう。だからこそ一足飛びに抜群にうまくなることはないし、少しずつ「技術」を身体に染み込ませるしかない。(あくまでも僕の場合は。計算して組み立てることが何よりも喜びな人はきっとまた違う組み立て方をするのだろう。)

ちなみにこれは、俳優が稽古場では準備できないこととイコールだとも思う。



なお今後、ブログじゃなくてnoteにしてみようかと最近思っています。

(追記)→noteにします!このブログだと文字サイズとかの調節を毎度うまくできなくて、それが煩わしいので。します!なのでこの場に書くのはこれが最後かも。

 
 
 

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