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  • 執筆者の写真ふじおかんたろう

ムシラセ『眩く眩む』

9月の6日〜10日に中野の劇場MOMO にて上演されるムシラセのお芝居『眩く眩む』について書きます。(あ、「まばゆく・くらむ」と読みます。僕は今回はじめて知りました。)






ムシラセの作演出・写真を担当する代表の保坂とは、もう何年の付き合いになるのか、でも意外と10年も経っていないような。主に僕は宣伝美術家として保坂は舞台写真家として、互いにゴールデンコンビと銘打って関わり仕事をしてきました。

僕が作る年間のフライヤーの1/5ぐらいは保坂がスチールを担当している気がするので、かなりの数です。


で、今回の『眩く眩む』出演。

その辺りの経緯は保坂がnoteに記載しているので、そちらも合わせて読んでいただくとわかりやすいかもしれません。


ので、こちらでは割愛しつつ、


簡単に言うと僕が保坂に「一緒にお芝居やらない?」みたいなことを言ったのがはじまりでした。




少し話はそれて


僕は実は、今年の上半期はお芝居に出演するのを控えていました。


昨年舞台を降板して、実はその前年にも似たようなことがありました。(公開前に降板したので公表はされていません。あ、「どのお芝居だ?!」とネット探偵を始めるのはお控え下さい。始められても構いませんが、私はこれ以上、具体的な公言をするつもりはないですし、今書きたいことの趣旨はそこにはないのです。)

もう一つ言えば、宣伝美術家としても同じような体験をしています。


降板の理由は全てハラスメント関係です。

基本的に、僕が直接的にハラスメントで大きな傷を負った、というわけではなく、時には現場でハラスメントがあったわけでもなく、それでも、そこにまつわること、色々な判断や立場に対して、(仮にそれが小さなことに外からは映ったとしても)このまま許容し続けてお芝居を続けると、ちょっと自分がわけがわからなくなるというか、大切なもの、大切な人を守れなくなるというか、お芝居を愛せなくなる感覚があったので、決めました。


自分の考えが唯一の正義だとは思いません。選んだ上で、それでも他の選択肢や判断・価値観もできるだけ尊重したいと思っています。だだ、そうすると自らの中に飼ったたくさんの立場に自分自身が引き裂かれることにもなりました。

色々な立場を責めず尊重し、そもそもたくさんの迷惑をかけてしまうことを引き受けた上で(降板を)決めるとはそういうことなのだと思っています。

これは僕の、(あるいは僕の置かれた環境下での)選択です。誰かから傷を受けて、その場から離れないと逃げないと危険な方に、「周りのことも考えろ」とはまったく思いません。配慮なんていらないから逃げて!と思います。


直撃の傷を負っていないから、そんな立場だからこそ架けられる橋があるのだと僕は思っているのです。当事者に橋を架けてもらうおうとするのはキツすぎると、僕は色々な痛みを目撃しながら思うのです。断絶しないと救えない痛みがあれば、断絶したままでは深まらない理解もあり、その断絶に橋を架けられるのは当事者の周辺なのではないかと思っています。



さて、

そんなことが立て続くと、では、僕は何をもってどんな演劇の現場に参加したらいいのか?どんな創作の現場ならいいのか?僕は僕で参加するなら演劇のクオリティは求めたいし、演劇関係は細かいネットワークで人と人が繋がりあっていて、降板しておいて、どんな顔で、どんな信念と判断で誰と演劇を作ったらいいのか、わからなくなったりしていました。「降板しておいて」なんて思わなくてもいいことは頭ではわかっています。けれど、感覚的には「こわい」に近いものかも知れません。自ら語った言葉の責任のありかみたいなことかも知れません。


さてさてさて

そんなこんなで、僕は「う~~~ん、演劇の愛し方がわからなくなってきている。これは、僕は今後お芝居をし続けられるのだろうか?」と思い、もしここ数年で俳優で僕がなくなるなら、僕は誰とお芝居をやりたいのだろう?

そんな問いを立ててみました。


僕の進退が今後どうなるかは、結局今の僕にも分かりませんが、

とりあえず、この問いを本気で考えると、自分が「何はやっておきたいか」が少し明確になりました。(そのうちの一部が「無茶祭2023」です。)



そんな時、


僕は、あ〜〜〜保坂とお芝居やりたいなと思ったのです。


話が戻ってきました。


それは、なんだかんだ、ここ数年の保坂のお芝居がとっても面白かったからということに尽きるのかも知れません。作家として脂がのっていると思います。旬の鯖のようです。また、保坂が書きたいこと体現してくれる仲間との巡り合わせもあるのだと思います。

ハラスメントについては、半分ぐらいはおそらく同じ危機意識を持っていると思っていますし、一緒に走れると思えているのです。残りの半分は、もう他者である以上わからない、どんな現場でもハラスメントは起こりうると考えると、僕自身が自立して対峙すれば良いと今は思っています。



そんなわけで、この『眩く眩む』、

去年の末?ぐらいには走り始めていた気がします。

作品の題材選びから、タイトル決めにまで関わり、取材にも一部同行させてもらい。


この作品の調理前の段階、仕込みや買い出しから関わっている感じです。


こんなことって滅多になくって、そもそも「一緒にやろう」なんてそうそう言いません。

でも、なぜだか、今、保坂とお芝居をやりたくなったのです。


どの出演したお芝居も僕にとって大切です。座組のメンバーにとっても作品は大切なものです。

ただ、個人的に特別な何かが、謎のワクワクが演劇にのること、のってしまうことはあると思っています。特定の公演を特別視することは僕の趣味ではありません。けれど、何か、個人的な、プライベートなエネルギーが作品の血肉になってしまうものづくりは、あると思っています。それはコントロールできるものではなく。

今回の作品創作の過程にはそんなものを感じるのです。


おそらく、犬と串所属時代、主宰のモラルと福岡の椎木と企画した『笑って!タナトスくん』や、同じくモラルと破局するお芝居『アンチ・カンポー・オペレーション』も僕にとってその類で、そんな時、僕はそこに「よくわからないけど、おもしろいものが生まれる予感しかない」気持ちを覚えます。

番外公演だからこそ生まれる局所的な暴風。みたいな。

(思えば、今回含めこれらの公演、全て僕は舞台美術も担当しているな。)



そんな中生まれた今回のフライヤーデザイン、僕はとても好きなのです。

もちろん自分がつくったどのフライヤーも好きですし愛着があります。

でも、今回は、なーんか、保坂と半年作品と共に並走していたから出来上がったフライヤーに思えてならず、「このビジュアルが、今僕の中から出てくるなら、これが作れるなら、この公演勝った!!」ぐらいに思いました。

多分、通常僕が作るフライヤーより、多分に「藤尾勘太郎」がその中にいるからなのだと思います。「保坂」もいるのでしょう。



長くなってしまいました。

稽古しています。


保坂のnoteから言葉を借りると、今回のお芝居は


『集団創作のクオリティとハラスメントの境はどこにあるのか』

というようなことを扱う、アニメ制作現場のお話です。


おもしろいと思います。

いやー楽しかった!!!という気分爽快!な芝居ではないと思いますが、

それでも僕は、どこかで「あらゆる悲劇は希望へ向かう」と思っていますし、

あ、そもそも別に今回悲劇ではないと思ってますけど、ものづくりはいずれ何かしらの希望へ向かうものだと思っています。


アニメーターや制作者が納期に追われながら、時にぶつかりながら、それでもいいものを作ろうとするお話です。


もう一つの大きな主題に「天才と凡人」というテーマが入っています。これは保坂の作品の中にちょくちょく出てくるものだと僕は思っています。

その辺り、ヒリヒリする人にはとてもヒリヒリする内容かなと。

この「天才と凡人」というテーマが作品の中のブラックバスのように物語を侵食する感じ、とてもおもしろいと思います。


最後に、この作品はハラスメントを扱っていますが、「今後ハラスメントの問題をどう解決していったらいいのか」に対するひとつの解をを提示することが目的のお芝居ではないと僕は思っています。もちろん作品はそもそもが、ある種作家の解ではあるし、立場表明ではあるので、そこにどんなご感想・ご意見を持つかはもちろん自由です。

結果的に、この作品で解に向かういちピースが見つかったらいいなと思いはまします。ただ、なんというか「ハラスメントについての演劇!!」みたいなパッケージとしてこの作品が伝わるとそれはそれで、何かズレてしまう気がしている、という思いがあるのです。


集団で、ものづくりする時の葛藤や執着、見たくない自分の気持ち、そんなものと向き合った群像ドラマだと僕は思っています。


(その上で、話が行ったり来たりして大変恐縮ですが、テーマ的にしんどさはある作品です。その点は、どうかご無理なくご観劇をご判断下さい。)



保坂がnoteに書いていること、本当は人前に晒したくない自分の奥にある気持ちを開示すること、そこと向き合うこと、それはとてつもないことで、とてつもなくきっとこわいことで、同時にこの作品の果実だと思うのです。




『眩く眩む』タイトル素敵ですね。




僕にとって、作品の心臓はこのあたりでは?という言葉も最近自分の中にあたためていますが、それはひとまずここでは秘めておきます。





本番まであと二週間。


登れるだけ、この作品を登り切っていきたいと思います。

誰一人置いていかず。僕が参加するからには誰一人置いていかず。(願い)

ま、とはいえ力まずに、軽やかに、たくさん寄りかかって座組のみんなに助けてもらいながら。



座席数少なめです。

たくさんの方に目撃していただければ嬉しいです。


今年僕が誰かの演出のもと俳優として舞台に立つのはこの一作品限りです。

ご期待くださいませ。



ではでは、皆様、また元気で会いましょう。

自分に優しく、人に優しく、やわらかいものは美しいもの。

自分のやわらかさも他者のやわらかさも大切にしつつ、向き合っていきましょう。


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