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  • 執筆者の写真ふじおかんたろう

「無茶祭」おしまい


おわりました。

たった2日間というピンポイントなスケジュールでしたが、174名のお客様にご来場いただけました。ご来場本当にありがとうございました!

はじめての個人企画で、30分のひとり芝居を6作品、3作品ずつ5公演。すべてミュージカルで、上演が終われば30分後には、次の公演の開場、演出家も不在(というか自分)、莫大な台詞量に、歌の練習、喉の不安、広報。無茶をするためにはじめた、無茶祭の名にある程度相応しい無茶さにはなったかなと思います。せっかく企画するなら、誰かが通ってない道を通りたかったのです。

「無茶祭」が終わってもう1週間?!信じられません。まだ一昨日終わったぐらいの感覚です。「無茶祭」近辺で圧縮していた時間があっという間に溢れ出したようです。

さて、おわりまして、落ち着いてきたので、すこし振り返ります。

ちょっと長くなるかもです。(←長くなりました。かなり。)

 

「無茶祭」企画者として

10年以上役者をやってきましたが、はじめてだらけの無茶祭でした。

僕は、それでも、小道具や衣装を揃え、小屋入りし、客席は埋まり、無事になんとか公演を終えました。がんばりました。

なんて、

とてもじゃないが言えない。「僕は」なんて、とてもじゃないが言えないのです。

企画の初期から、力を貸してくれた伊藤靖浩、三國谷花ちゃん。無茶にのってくれて、僕の背中をつよく押してくれた松本永さん。時間のない中、そんなことを微塵も感じさせない永さんのやわらかく強く美しいあかり。無茶祭の看板である無茶な写真を撮ってくれ、舞台写真を撮ってくれ、惜しみなく手伝ってくれたほさか。チラシ撮影は、この企画のファースト無茶であり、また出来上がったソレは、僕の宣伝美術史上もっとも評判のよいチラシとなりました。稽古場から、キッチンまで、役者としてのまなざしと、料理人としての腕をおおいにふるってくれた塚さん。DJのみならず、常にこの現場に楽しそうにいてくれたホリくん。美術の音符も切ってくれたホリくん。靖浩の現場での尽力、現場における圧倒的腕力、愛情、魂を燃やす演奏。そして、「ひとみゅーVol.5」の打ち上げでこの企画のことを話し、賛同してくれて以降、この企画のはじまりから終わりまで、僕の走りを並走どころか先回りして、幾重にも道をつくってくれた花ちゃん。この企画の「0」が「1」になった瞬間は、あの打ち上げの夜だと思っています。

分からないことだらけの僕に、

ちゃらんぽらんな僕に、

みんなが、あまりにも、力を貸してくれました。

公演の準備がはじまって早々に、僕は自分の部屋の壁に「恩が返しきれない」と書いて貼りました。

小屋入りの直前に、永さんに「人に恵まれてるなあー!そのうちバチあたるぞ!」と言われました。バチあたるのはイヤですが、こんなにちゃらんぽらんな奴が、こんなにもよくしてもらったのです、そりゃあバチぐらいあたるよなあと思うぐらい僕は恵まれていたし、少なくともこのことを忘れたりしたらバチはまず間違いなくあたるだろうなと思っています。

感謝をしてもしても足りない。

18日は3公演。しかも、次の開場までのインターバルは30分。

僕が無茶なことをするということは、当たり前みたいに、座組のみんなを無茶に巻き込むということでした。僕が無茶をつつがなく行えたということは、周りのみんなが考えられないほどの無茶をしてくれ、僕の山ほどある足りない部分を補い続けてくれた先にしかなかったのだよなあと思っています。必要以上にへりくだっているつもりはないです。事実です。

「感謝の伝え方」辞典でも買おうと思います。あるのなら。

「ありがとう」の伝え方のボキャブラリーが足りない自分に、本番前なかなか想像以上に余裕がなくユーモアの泉の枯渇する自分にも辟易しましたが、そんな僕に、最後までそばにいてくれて、無茶をしてくれた座組の皆様、本当にありがとうございました。この場を借りて、あらためて御礼申し上げます。月並みですが、誰一人欠けても今はありませんでした。

また、演出家のいないたったひとりの稽古場に足を運んでくださった多くの方々。感想をもらいながら、時に共に作り、時に励まされ、時に厳しい感想ももらいながらの大切な時間でした。

当日パンフレットにお名前を載せさせていただきました。再掲。

梶原航、薛珠麗、中野英樹、須加崎幸憲、清水幹王、福麻むつ美、大西玲子、福寿奈央、高木珠里、澤唯、村山かおり、酒巻誉洋、辻村優子、水落磨樹、和田華子、徳永梓 、せのじゅんこ、満間昂平、ひーろー、木村圭介、小林春世、えみりーゆうな、金崎敬江(敬称略/順不同)

稽古場には時間の関係で来られなかったけれど、応援して下さった方々。

皆様、ありがとうございました。

また、まさかの搬入を手伝ってくれた、井上裕朗先輩、PLAY/GROUNDのみなさま。

仕込みに遊びに来て手伝ってくれたアメリ。天むすと間違えて、僕に靴下を差し入れしてくださったしゃこさん。バラシも手伝ってくれた井上先輩。マーシャル、ふみの。

衣装を貸して下さった、エスムさん、ひーちゃん、わたる、再びのほさか。

大道具を譲ってくれた、大クリのみなさま。

会場を好き勝手使わせて下さったK'sスタジオさま。

そして、急ピッチな企画で時間のない中、すばらしい新作を書いてくれたマギー。ただでさえ初ミュージカルなのに。「黒田清隆」とても人気でした。

この企画のはじまりである靖浩の「ひとみゅー」。藤田の作家、詩森ろばさんをはじめ、夢子さん、永田さん、イケテツさん、ムックさん。オリジナルキャストの皆様。

ありがとうございます。

そしてそして、

8月の週末、まだお盆の香り残るお忙しい時期に足を運んでくださったお客様。

本当にありがとうございました。

この場を借りての御礼祭りのようになってしまいすみません。

終わった今、一番言いたいことなのです。

むしろ、まだまだ言葉が足りない。

返しきれない恩を抱きしめながら、少しでも成長して、またお会いできればと思っています。こんなにも「ああ、成長しなくちゃな」と思ったことも珍しいかもしれません。関わってくれた人がハッピーな気持ちでいられるよう。ああ、成長しなくちゃなあ。

といって、「感謝しなくちゃ!!」「御礼しなくちゃ!」と念仏のようにつぶやく「生涯御礼マシーン」みたいに生きるのは、なんだか本質からずれちゃうと思うので、ええと、あの僕がんばります、みなさま、よかったらこれからも仲良くしてください!飲みましょう!(あ、部屋にお酒がいま、たくさんあります)

企画者としては、とにかく感謝しかありません。

公演が終わって、神社にて、僕の人生に少しでも関わってくれた人が健やかに楽しく暮らせるよう祈りました。きっといいことがあると思います。その時をお待ちください。

(あ、公演をご覧になっていない方も、対象です。このブログを読んでいただけるだけで、嬉しいのです。いいことあります。お待ちください。)

僕はしあわせものです。

本当にありがとうございました!!

 

「無茶祭」役者として

この公演で、無茶な高い山を登り終えて、果たしてそこにはどんな風景が待っているのか、そんなロマンチックな思いも抱きつつ稽古を重ねました。結論から言うと、当たり前ですが、世界はすべて地続きで、急に想像もしていなかった高さから世界を眺めることは起こりませんし、ひとつの山に登れば、また向こうに次の山が見えるということがはっきりしました。また、必死で前に進んでいただけなので、始める前と後の高さの違いがまったくわかりません。景色を眺めながら登る余裕がありませんでした。

日本にいろいろな演劇の川が流れているとして、この「無茶祭」がどういうジャンルの扱いなのか、どの川に合流するのか、その川の客層は?その川で求められる演劇とは、どんな演劇なのか?正直僕にもわかっていませんが、どこまで何を求めて作品をつくるのか、それは人に決められて設定することではなく、その役者次第なのだなということを感じました。本番で、お客様の前に立って、演じながら「ああ、自分は濁流を前にして演劇をやっているんだなああ」と、そんな印象を受けました。僕は、そう感じたのです。別の人が同じ環境で演じて同じ感想を抱くかどうかなんてわかりません。また、一人芝居だからなおのことそう感じたのかもしれません。一人芝居でない時も、最近は「舞台の上って本当に特殊な場所だよなあ」と感じています。時間が歪むというか、舞台下と違う風が吹き続けているというか。

で、濁流のはなし。いろいろな価値観をもったそれぞれの事情の違うひとりひとりのお客さんとの間に、物語をつくらなけでばならない。なるほどその濁流に立ち向かう強度が必要だなあと感じました。それは、「やってやる!!」とか目をカット見開けばいい類のものではなく。

「こいつ無茶してるなあー」

「無茶たいへんそうだなあ」

という感想をもらうために、この企画をやっていたわけではなく、無茶した上で作品を楽しんでもらうことが一番の目的でした。

うまくいったこともあれば、叫びたくなるぐらい悔しい気持ちにもなりました。

その作品が「おもしろいかおもしろくないか」の賛否はほぼ全部自分ひとりに降りかかってくるように演出家も設けなかったので、ダメージを食らう時はもろに自分にきました。

千秋楽。最後の最後、無茶だからこそ、無茶の先に見える美しい景色が花開いたように感じる体験ができました。暗転した瞬間の拍手と歓声を、僕は忘れることはないだろうと思います。2日間5ステージはマラソンのようであり、そのフィナーレが確かに結実した瞬間でした。その瞬間は確かに美しかったように思います。

演目は回数を重ねるごとに、沸騰し、目の前の濁流をすこしはコントロールできるようになりました。

1回目は、ガッチガチでした。そのことによる公演の成果の判断の正確なところはわかりません。もしかしたら、僕がひとりザワザワしているだけで、大差ないのかもしれません。でも、僕は勝手に悔しかったのです。「これが僕の2ヶ月間か?かんべんしてくれ」と思いました。

2回目以降、インターバル1時間での上演は当然のように脳みそが沸騰し続けるような状態での上演でした。(人間、やるときめたら、脳みそ沸騰はするけど、全然演技できるものですね)

「上演を重ねるごとに、よくなったなんて言い訳であり、お客様に言うことじゃない」という思いもあります。

けれど同時に、客席の集中力は演じる側にさすがに伝わってくる、というのが僕の実感です。ましてや、一人芝居です。

そして、僕が何を言おうが言うまいが、たとえば、もし面白くなければ、もう今後、僕の芝居を観に来てくれないかもしれないし、場合によっては役者として使われなくなるのです。それはごく単純な事実で、ああ、そういう世界だよなあと思いました。自分で企画しようが、求められて舞台に立とうが、どんな作品だろうが、目の前はいつだって濁流です。むしろ、自分で企画したほうがきっとそのリスクは大きいですね。楽しんでもらえなければ「お前が面白いと思ってるもの、面白くねえや」って話になりますから。

お金をいただいて、「ああ!楽しかった!最高だった!」そこまで行きたい。

「お疲れ様ーがんばったね!」ではなく、「最高!」までいきたい。それだけです。

本番を重ねる中で、尻上がりのように濁流との戦い方が進歩したように感じられたことは、嬉しくもあり、裂けるぐらい悔しくもあります。それでも少しでも、確かに「最高!」を共有できたと感じる瞬間の肌触りが残ったことは、ちょっとは誇ってもいいのかな?とぼんやり思います。(そのことを考える時、また手伝ってくれた仲間のことを思います。)

劇作家・演出家ってすごいなと改めて思いました。この重圧を毎回くぐり抜けているわけですよね。また、そういう意味では、役者がその重圧を引き受けて舞台に立つのは基本的には、効果的ではないんだろうなということも理解しました。そこは演出家に半分パスして、責任を薄くしたほうが、役者は思い切って稽古場で失敗したり、冒険することがしやすい。もっとも、それはそもそもある程度理解した上で、今回はすべてを引き受ける選択をしました。後悔もありません。その覚悟そのものを演技に使いたかったのです。

また、自分で企画していますが、今回は「ひとみゅー」の形式を、そのままお借りしました。つまり言うて半分、人の褌を借りていたわけです。さらには、ミュージカル俳優ではない役者としての挑戦。それは、時にカセになり、時にジャンプ板のようにもなりました。いずれにせよ、なかなか自由というわけではない形式と戦うことは僕にとってとても魅力的なことだったのです。それは、「私という役者は、こういう役を演じると輝きやすい!だから、自主企画ではそんな自分が出せる演劇をします!」というような戦いより僕にはよほど魅力的に感じたのです。(↑そんな発想の人はいないか。)自分が演じて面白くなるかどうかは、作品選びの段階で考えはしましたが、自分がコントロールしきれなさそうな何かと戦うのが役者の仕事のひとつと思っている節があるのです。

いろいろなことを学んだ気がします。

こんな無茶を、夢想し実行したことは、僕個人にとってとても価値のあることでした。

お客様にとっては、どんな時間だったのでしょう。

観て少しでも何か元気になる演劇になったなら幸いです。喜劇も悲劇も基本的には治療だと僕は思っています。

また、この公演は、6つの物語を伝えるだけでなく、その物語を通して、むしろひとりの役者の無茶を伝える物語だったのかもしれません。

そして、僕はどこかでそう思っているから、ブログにこうして、物語のエピローグを足そうとしているんだと思います。こうして言葉にすること込みで無茶祭な気がするのです。

さて、うだうだー言いましたが

とにかく

僕は、何はともあれ

「あああ!やってよかった!!!」

と叫びますし、この成果、評価のいろいろすべて引き受けて、また舞台に立ちます。

あと

「あーあー、演劇好きなんだなあ、この人!しょうがねえなあ!!」

とも(他人事みたいに)思いました。

また舞台に立ちます。

もしよかったら観にいらしてください。

最高は最高だけでは存在してくれず、最低もまた最低だけではありませんでした。

ああ、僕は強欲なのだな。いや?普通かな?とか考えました。

そんなわけで、山を登ったら向こうに別の山があるばかりでした。

果てしないけど、まだ登ります。

あーすごく真面目に書いちゃったなあ。

いいんです。僕は生真面目で雑なんです。そういうこともよくわかりました。

これからも真面目にちゃらんぽらんに、楽しくゆるくやっていきます。

あ、「無茶祭」の舞台写真もいくつかアップしました。よかったら覗いてみてください。

さて、

10月はモラルとの破局公演。12月はserial numberのはじまりの公演。

僕はどちらの演目もファンです。どちらもおもしろくなりそうです。なんなら僕が観たいです。どうぞよろしくお願い致します。(あーー、ようやく相手役がいる!!嬉しい!)

もうなんだよ、一人芝居って!しばらくやらないよもう!

この2ヶ月間本当に、ありがとうございました!!!!

藤尾勘太郎

↑初日前、異常に緊張している僕を抱え上げる靖浩。

 

P.S. 「間に合わなかった九州男児」

追伸

「無茶祭」では、「はじめて割」をもうけ、その広報のために「藤尾勘太郎を知らない人に向けて藤尾勘太郎を紹介してもらう」企画をやりました。(忙しすぎてすぐに頓挫しました。)実はそのアイデアを出してくれたのは福岡の人気劇団、万能グローブガラパゴスダイナモスの椎木樹人でした。(彼は我が家で「無茶祭」の会議に参加してくれました。ありがとう。)なので、2ヶ月前ぐらいに、ある意味言い出しっぺの椎木に「(例の)紹介文ください」って連絡しました。それからなんの音沙汰もなく、2ヶ月たった無茶祭の本番当日、椎木から紹介文が届きました。。。遅いよ!!!!!いや、うれしいけど!!!今かよ!!当日はめちゃめちゃ忙しい上に、紹介文がパッとSNSでつぶやける長さでもなかったので、発表されないまま、未だに僕の手元には椎木の紹介文があります。

この機を逃すと、せっかく文章を考えてくれたのに発表できずじまいになるので、最後にこの場を借りて、載せます。以下、椎木樹人の「藤尾勘太郎を知らない人に藤尾勘太郎を紹介する」コメントです!

藤尾勘太郎は 常識と非常識を持ち合わせた人である 頑固さと柔軟さを持ち合わせた人である 熱さと冷たさを持ち合わせた人である 陰と陽を持ち合わせた人である それぞれの相反する感覚の振り幅がとても大きく、愛されるけど掴みどころが難しいという変な人です。 そういう人間に、人は惹かれるし、そういう俳優に人は惹き付けられます。 彼の底深さに、きっとハマってしまうでしょう。 そして、周りの人達は力を全力で力を貸してしまうのだと思います。

あと、アングラだけどポップっていうところもあるので、彼の作る作品はきっとエンターテイメントに富んだ作品になるでしょう。ややこしいけど

椎木ありがとう。あんなに、「俺ならふざけて書く」みたいに言っておきながら、ストレートに愛のあるコメントをありがとう。(ちなみに椎木は僕からの連絡を見逃していたそうです)

ちなみに、椎木を僕が紹介するなら、「同年代で一番かっこいい男かもしれない俳優です。(中略)もっと売れろ。」です。

やはり、僕はしあわせものです。

1年前、いや半年前の僕は、「無茶祭」をやるなんて想像もしていなかったのです。人生は不思議ですね。やろうと思ってから3ヶ月。あっという間でした。

長々と読んでいただきありがとうございました。

これからもどうぞよろしくお願いいたします!!

藤尾勘太郎


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