2018年のデザイン仕事を整理したので、役者として、あるいは人としての一年をすこし言葉にします。
毎年、割とグラデーションで一年が過ぎていくのですが、今年はとてもゴツゴツしており、時期によってだいぶ色味が違います。今年は「赤」だなと思ってはじめた2018年。今は自分が何色を好きなのか少し混乱しています。混乱しているから言葉に少しでもしておきたいと思い、今です。
2017年が「楽しく、充実した一年」だったとしたら、
2018年は「神経をすり減らすような通過儀礼のような一年で」した。
昨日、温泉に入って、カラオケに行って、家でビール片手にTVを見ていて、ふと俗世に帰ってきたような感覚になりました。いったいいつから神経を張って過ごしていたのだろうというような思いになりました。
ざっと振り返ると
2月 犬と串「ピクチャー・オブ・レジスタンス」
3月 犬と串退団をきめる
5月 犬と串退団発表/犬と串自体は活動休止
一人芝居ミュージカル短編集「foufou」
8月 藤尾勘太郎一人芝居「無茶祭」
10月 フジオモラル破局公演「アンチカンポー・オペレーション」
12月 serial number 「アトムが来た日」
その隙間で、デザイン作業をしたり、突然青森に一人旅に出かけたりしていました。
舞台出演計5本。そのどれもが初挑戦だったり、「はじまり」の公演だったり「おしまい」の公演でした。
あまりにゴツゴツしていますが、それでも今年一番の僕にとっての大事件は、やっぱり犬と串退団だったのだと思います。自分にとって大きな変化を求めての退団でした。想像以上の反応が自分自身に返ってきました。劇団を辞めるにも人それぞれの事情があることでしょうが、みんなどう感じ変化していくのだろう。
退団の理由を、誰かに会うとたまに聞かれます。
理由はいくつもあってひとつには絞りきれないし、その場で特別語りたいとも思わないこともあったので、その時々適当な返事をしていたように思います。
退団からしばらくして、そして「破局公演」という世にも稀な演劇を終え、先日の「アトムが来た日」の公演も終え、ゆっくりと何故自分がひとりになろうとしたのか、当時言葉にしきれなかったモノの輪郭が、その感触がわかってきたような気がします。
破局公演を終えて、僕はなんだか、言葉を失ってしまいました。
卑近な例をあげれば、SNSに何か書き込んだり、ブログを書く気がなくなりました。それは、そういった「役者として外になにかアピールすることをしたくなくなった」とか、そういう「考え方/戦略」的な話ではなく、「自分はなんで演劇をやるんだろう」ということに対して、どうしようもなく立ち止まらざるを得ないような、「自分が何を根っこにして立っているのか分からなくなる」ような感覚でした。
僕が犬と串を辞めた理由の一つに、
なんだかんだ僕は犬と串に頼っていて、寄りかかっていて、なんなら半身ぐらい常に体重を預けている、そんな感覚があったから辞めたのでした。これは最近、明確に思ったことです。もう頼っちゃいかんな。自分の2本の足で立たないと、これはいかんな。そう思ったのです。辞めることを考えた時、きっとどこかで、その時は明確に言語化できていなくとも、そんなことを思ったのです。
表向き、わかりやすく劇団に頼っていたとか(どんな状態だ?)そういうことではないのですが、10年も劇団にいると、ある種類の居心地のよさが生まれます。(逆もまた然り)どうしても、人間関係というか、互いに対する印象・役割がある程度決まり切ってしまった、そんな感覚が僕にはありました。当然、そこを打破して劇団内の人間関係をシャッフルして循環させる努力をしてもいいのですが、僕は抜けることを選びました。
劇団の内部にいて、これはある意味半分僕が選んだこととも言えますが、僕は犬と串の看板俳優として戦いました。何を持って看板かという意見には諸説あるかと思います。ただ、正直自分で役者として劇団の作品のクオリティに責任をもつと決めた時から、僕は看板俳優だったのだと思います。もしかしたら、それは劇作家・演出家の孤独と向き合うと決めた時から、はじまったのかもしれません。
劇団の作品に対してある程度の貢献をした自負はあります。
同時にそれは劇団内においてある程度の居場所が勝手に生まれるということでもありました。また、前述した「なぜ演劇をやるのか」ということに関して言えば、劇団にいるかぎり「劇団のために演劇を続ける」というような感覚が無意識のうちに存在してしまう感覚がありました。
自分は役者として、あるいは人としてどうしようもなく半人前であると思っているのに、あまりに心地の良い場所でありすぎること、また、自分がどういう人間でありたいかを考えた時に、役割が硬直化してしまってどこか身動きが取りづらくなっていること。そんなことを思い辞めたのでした。
「辞める」意思をモラルに伝える際の、緊張というか覚悟はなかなかに経験し難いものでした、「よいしょっ」ぐらいの踏ん張りではなく、ある意味半年助走しつづけて、それでも血を浴びる覚悟で伝えました。大げさですが、僕にとってはそうでした。
その結果、当然ながら、求めた通り、「何故演劇に関わるのか」そんな問いが、僕の目の前にやってきました。そして、今まで勝手に与えられていた役割や、ある種のアイデンティティがなくなり、僕の目の前には急激に荒野が広がりました。10年間寄りかかっていたものがなくなったのですから。帰るべき家を失った人にとって世界はいつだって荒野なのかもしれません。
なぜこんなに「人間関係の巣窟のような仕事を、コミュニケーションの芸術のような仕事を、普段生きている時は必ずしも見ないで済むような絶望や、苦しみの淵を覗きに行くような仕事」を選ぶのか。よほどの天才でない限り、わざわざやらなくてもいい仕事に思えます。役者という仕事は。本当に何か、好きじゃないととてもじゃないけどできない仕事です。僕にとっては。
僕は、これらのことを、ひきつづき2019年も考えながら活動していくのだと思います。
前のブログに書いたように
僕は「花のように生きたい」のです。
花のように、のびのびと、獰猛に、気高く、ユーモラスに、わがままに、やさしく生きていたいと思います。そんな直感と、役者という仕事をどう繋げていけるのか、そんなことを考えながら進んでいくのだと思います。
僕が数年後、役者を続けているのか、今の僕にはまだ分かりません。
でも、役者の仕事の大きさを、すばらしさを自分の中で勝手に矮小化して続けたいとは思わないのです。年を経るたびに役者って大変な仕事だなという思いが増していきます。そう思えることが僕は嬉しいですし、役者という仕事への尊敬の念は益々増していくのかもしれません、そんな日々高まっていく理想に自分自身が振り落とされないように健やかに生きていきたいと思います。
心が健康じゃないと悲しみの淵なんて覗けないと、僕は思っています。
今しばらく、ひとりで過ごす時間を多めに取ってやろうかと思っていますが、ある時期を越えたらやたら誰かと会いたがる時期がやってくる気がしまう。その時はみなさまどうぞよろしくお願い致します。
2018年、演劇の場で、それ以外の現場で、関わってくださった多くのみなさまに感謝いたします。また、感謝の言葉も、来年もっと急に溢れ出すことがありそうですが、どうぞご容赦ください。
来年もよろしくお願い致します。
藤尾勘太郎
p.s.
とてもじゃないですが2018年のことが書ききれません。
人生初企画「無茶祭」のことや、「破局公演」のこと、
そして終わりたてほやほやの「アトムが来た日」のこと、新年になってしまいますが、咀嚼していきたいと思います。