いまは上演作品のうちのひとつ
ヒエロニムス・ボスを題材とした
「2xxx年 快楽の園へ」の準備をしている。
脚本は今井夢子さん。
このボスは、僕が藤田嗣治を演じたvol.5において、片桐レイメイことレイちゃんが演じていた。
名前だけ聞いてボスのことが分かる人は、どのぐらいいるだろう。
「ヒエロニムス・ボス」と検索すると、彼の代表作「快楽の園」の絵の画像がたくさん出てくる。
ボスは画家である。
とにかく観ていて飽きない、細部が大好きな僕が喜ぶような、細かいしごとをする画家である。「快楽の園」だけで500人を超える裸体が出てくる。
1450年付近に生まれた説が有力らしい。同時代に活躍していたのは、たとえば、レオナルド・ダ・ヴィンチ。つまりルネサンス期。
しかし、このルネサンス期において、ボスの絵画は、圧倒的に異質である。現代の僕が観ても異質だと思うのだから、言わんや、当時の人々にとっては。もっとも、宗教画なので、今の僕らよりは当時の方が時代への接点の多い絵画ではある。googleで検索していただければ分かるが、なかなかに独創的で奇妙奇天烈、摩訶不思議な絵だ。そして、ボス以前に似たような絵を描いた人はいない。故に、美術界の突然変異と呼ばれているそうだ。
みんながパンを作っていた時代に、何故かこの人はドーナツをつくっていたみたいな。あれ?無視してください
さて、上演作品は、どの作品も題材となる人物を知らずとも楽しんでいただけるように書かれているので、紹介はこのぐらいにして。今はボスを集中的に稽古している。
さっそくですが、夢子さんのこの脚本、今回の6作品の中で、おそらく1番台詞が入りづらい。覚えにくい。
お龍さんの台詞を覚えるのにかかった時間のおよそ3倍ぐらいかかっている。とても感覚的な文章の構造に意図的になっていて、必ずしも文章としてはロジカルじゃないというか、助詞がまま省かれたり、1文の中にしれっともう1文差し込まれたりしている。その感じが好きなのだけど、まあ、とにかく完璧に台詞が馴染むのに時間がかかる。
同時に脚本の解釈をして、おおまかな脚本の骨格はわかった。そしてこの解釈の時点で、おそらくレイちゃんのボスと45度ぐらいは違うと思う。(オリジナルのキャストであるレイちゃんのボスを観たことある方は、そのあたりもお楽しみに。)しかし最終的な印象はいがいと変わらないのかもしれない。それは、まだわからない。
というわけで、粗粗粗通し稽古をしてみた。
台詞が7割方(口に出せるけど、おそい)入ったのと、解釈が一応通ったので、ぼんやり通してみた。
結果
全然だめ。
なんなら、初読みの時の方が、よかったと個人的には思う。外からの意見じゃあないから分からないけど。
あらためて、この企画のたいへんさを思い知る。
すごーく簡単に言うと、6作品演じるということは、僕が心臓を6つもたないといけない、ということなのかもしれないと思った。最近、庭劇団ペニノを観に行って学んだタコの心臓よりさらに3つ多い。ドクドク脈打つエンジンを6つ自分の中に見つけなければいけないのだ。
役のことはある程度理解したけれど、それを自分が演じるための準備が全然なかった。自分で驚くほど。
藤田嗣治をつくりあげて、その感覚がすでにあるから、分からなくなっていたけど、あらためて、ひと作品ずつゼロから作り上げないといけないことを実感。おそらく頂上への登り方も、作品ごとにきっと違うのだろう。
よわったなあ。
6作品あるので、少しだけ、気が急いてしまう。これがよくない。形から入ることになるぞ、と戒める。
あらためて、たいへんなことをはじめてしまったなあと、昨日は少しガタガタした。いろんな一人芝居の作り方があると思うけど、僕はゆっくりコトコト派です。だって自分じゃない人を演じるんだもの。
そんなボスのことを考えながら、「あれ、印象は全然違うけど、犬と串で上演したとある作品に、構図が少し似ている」と気づいた。僕が昨日ふと(性的に)ムラムラした時に思いついた。ヒントはふとやってくる。
遠くに設定したものを、ここにいる自分がどう演じるか。
遠くにあるはずのものを、近くにつれてきて演じるんじゃない。
ボスの上演は
18日の13時と、19時
19日の13時
やっぱり画家を演じるのには特殊なよろこびがあります。
また、伊藤 靖浩がつくったボスの歌たちは、奇妙でおそろしくて、美しいです。
今回、藤田と並ぶ画家の双璧。夢子さんが書いた世界の謎解きをしながら、どんな作品に仕上がるのか僕自身楽しみです。
ご期待ください!!