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  • 執筆者の写真ふじおかんたろう

アート好き?


たまに

「かんちゃん、アート好きだからこういう舞台好きそうだよね」

みたいなことを言われる。

概ね外れてはいないし、まあおっしゃる通りと思うと同時に、なんだか「ざっくり括られたな」といった実感も同時にわく。

そもそも、僕は「アート」って言葉を日常生活で全然使わないし、なんだか言葉の意味があまりよくわかっていない。なんなら言葉として胡散臭いと穿った目で見てしまう。

「芸術」と「アート」ってやっぱりニュアンスは違う気がして、「現代美術」と「現代アート」も違う。(正確な意味の違いの話ではなくて、僕にとってである)と同時に、だいたい一緒ぐらいに適当に考えている。

昨今よく聞く、「アートによる街の活性化」。

いや、ほんとに素敵な取り組みだし、これからもどうか広まってくださいと思う。

いやしかし、「アート」って言葉便利だな、で、それなんなんだろう?みたいに、いまだ「アートの有効活用」みたいなコミュニティに属していない人間からすると、ちょっと疑問符がのこる。

「あなたの生活を豊かにするアート」いかがですか?みたいな

「アートで日々に小さな気付きを」みたいな

「アートってちょっとおしゃれ」みたいな

「アート」の言葉の意味なんて時代とともに移り変わっていくし、それが「生活を豊かにする」ことに特に依存もない。

ただ、それらが何かファッションの一部みたいに存在して、僕自身、そんな「アート」を好んで選択していると思われると思うと小さく首を傾げてしまう。いや、正直、これは僕の勝手な自意識なので、何をどうして欲しいとか、そういうことじゃないんですよ。

僕は小学生のころ

「◯◯(本名)の家は芸術家だから」とよく同級生に囃し立てられた。幼い頃は、なんだかその線の引かれ方が嫌だったし、「芸術なんてキライ!」みたいなぼんやりした気持ちになった。クラスの中で、体の中に芸術なんて飼っていると陰気臭いと思われるようなそんな感覚があったのだ。

なんだよその芸術っていう曖昧な何かは!

っていう気持ちは20代でさえずってあって、最近になってようやく「僕は芸術と呼ばれるその付近の何かが確かに好きなのだ」と思えるようになった。認められるようになった。

芸術というジャンルが扱ういろいろが僕にとって大変心地いいのは事実だ。例えば、先日ルーマニアのシルヴィウ・プルカレーテ氏の演出の舞台を観た。視覚的に、そして空気感が僕にとっては大変心地がいい。空間における、人間や物質の位置関係・力関係が実に美しい。「絵としてきれい」というと語弊があって、その構図におけるそれぞれの位置のエネルギー関係がとても、僕にとっては心地いいのである。呼吸しやすい。(舞台作品としての感想はまた別)

この悦びを、「アート好きだから好きなんだね」と言われると、やっぱり「うむむむむ」「そういうことなのだろうか?」と思ってしまう。

「アート性」の強い舞台作品とかって言葉も、理解はできるし、言いたいこともわかる。でも、そのニュアンスの中には、僕がかつて言われた「◯◯の家は芸術家だから」に似た、なにか理解できない対象への線引きみたいなものを感じる。

とかいって、僕だって世界にたくさんの線引きをしていると思う。

ん?違うな、そういうことじゃない。僕は別にここで線引きをしないでほしいとか、自分も気をつけようとかそんなことが言いたいんじゃない。線引き結構、構わない。正直どっちでもいい。

僕は芸術もアートも崇高なものだと思ってない。ただ多分好きなのだ。あえて言えば、好きだから、僕にとってそれらは崇高なのだ。

ん?いや、でも、芸術ってなんだよ?!偉そうに!とも、未だに思うな。

わっかんねえや。

このへんも、またどんどん変化していくんだと思う。


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