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執筆者の写真ふじおかんたろう

意味がなさそうに思えるものごと


最近、いろいろなことはつながっているということを強く感じる。

「なぜいまこの体験を?」

をつなげられるようになってきた。

だんだんと蜘蛛の巣のようなたくさんの糸を引っ張ったりできるようになってきている気がする。

俳優としても、デザインの仕事でもそれは一緒。

今度、とある企画でチラシデザインのやり方を高校生に教える。

そんな日が来ると思わなかったが、まあやってみる。

そのWSプランを少し考えながら、思ったことは、僕がデザインをする時に、僕自身の興味の幅が僕のデザインの幅になっていることをあらためて思う。結局、自分が好きなものしか作れない。僕は、絵画、現代美術、写真、建築、風景、インテリアデザイン、ファッション、メイク、舞台美術、広告、漫画それらすべてに興味がある。その興味が僕のデザインの幅になっている。たとえば漫画にしか興味がなければ、そのエッセンスからしかデザインはできない。大学の頃、何につながるのか一切不明のまま、写真に興味があったから一眼レフを中古で買って写真を撮っては現像したりしていた。

何につながるかわからないことでもすべての興味はつながっている。

同じことは俳優にも言える。

むしろ俳優はあらゆる人間を演じる可能性があるので、つながりうる興味の幅はたいへんなことになる。

僕は高校生のころ、木に触ってその木のエネルギーを感じて遊ぶことをたまにやっていた。これは生えている木でなくてはいけない。切られた木はあたたかくないのだ。これは事実だと思う。大学に入って、僕はなんだか恥ずかしくなってそんなことをしなくなった。(高校生と大学生にはおおきな隔たりがある。大学生になると急にみんながんばっておとなぶりだすということだ。僕もその波にもまれたのだ。)

いろいろな波にもまれた20代を経て、近年そういった目に見えない感覚的なことへの興味がどんどん湧いてきた。あるいは、戻ってきた。ものをつくる人間にとって、役者にとって、それはとても大切なことに思えてきたのだ。

なんの役に立つのかわからない「ねえそれ食べれるの?」みたいな時間を大切にしようと思う。「花より団子」という言葉が成立するのはその花が美しいからだ。

近々山に登ろうと思う。

麓の茶屋で団子たべよう。


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