散歩を増やそうと思う。
もともと歩くことは好きなのだが、
最近は、歩くこと、散歩することの効用について思う。
散歩することは、瞑想することに近い。
散歩することは、小旅行だ。
散歩することは、故郷を思い出すことだ。
何も目的ももたずに歩き出す。景色を眺める。河をただ眺める。河を眺めている人はあまりいない。空の色をみて、よってくる虫に少し身を引く。すずめが飛び立っていく。
僕の故郷のことを思う。
公演が終わってから意図的に、だらだらと過ごしている。お金がたいへんなことになりそうだけれど、今はしゃにむに働くことより、散歩していた方がいい気がする。
自然を愛するのは老人だけではない。
河や空ばかり眺めていると、「どうしたあいつは、疲れてるのか」と思われるかも知れない。「芝居終わって、癒しタイムなのか」と思われるかもしれない。
簡単に何かをくくってしまうのは楽だけれど、河を眺めるのに明るいも暗いもない。
「癒し」という言葉が着せられているいかがわしさ。
散歩することは必ずしも癒しではない。
散歩することはデモに参加することにも似ている。
散歩することはダムの放流にも似ている。
何を言っているのか。