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  • 執筆者の写真ふじおかんたろう

言葉で伝えていくこと

自分が不愉快な思いをした時に、不愉快な思いをさせた人との縁を切るのではなく、何が不愉快であったか自分の言葉で伝え、関係を続けていくこと。続けようとする努力をすることを大事にしていきたい。


当たり前のようで難しい。

伝えた後に相手との関係がどうなってしまうか分からない。

仕事相手であれば、もしかしたら仕事を失うかもしれない。面倒臭いヤツと思われるかもしれない。

あと、伝えることには、めちゃんこエネルギーがいる。


それでも、愛情がなければ仕事はできない。愛情を失って仕事をすることは健康を著しく害す。

相手に改善を要求すること、注意することは勇気がいる。僕の言葉はまだまだ、たどたどしい。

けれど1年に5cm勇敢になれば、10年間で50cm勇敢になれる。20年あれば1mも勇敢になれる。


「明日なんて本当にくるか分からない、いつ死ぬか分からない」という捨て身の覚悟も時に美しいけれど、人は変わろうと思っても個人の意思だけで、そう一足飛びには変われない。(僕はそう思う)

だから、少しずつ、少しずつ勇敢でありたいと思う。


自分を大切にすることは、相手を大切にすることだ。


もちろん疎遠になることをいとわない時もあるし、これまた勇気をもって敢えて関係を断つこともある。(腹が立ちすぎて、注意するなんて愛情表現などせず関係を断つことも1%ぐらいある。僕、あんまりないんですこのパターン)


何を欲するのか。


僕はまだまだ臆病者だけれど、勇敢でありたい。強くしなやかでありたい。


タルキを叩きつけるようなコミュニケーションをしては相手を怪我させてしまう。かといって、柳のように受け流していても意思は伝わらない。



考え続けようと思う。

パワハラについても。

僕は、パワハラに対して鈍感な人間だと思う。あるいは、鈍感になった人間なのだと思う。「できない自分が悪い」と思う限り、パワハラの概念がうまく掴めないのではないか、僕個人の見解はそうだ。(この見解がでてくるのは、僕が何某かのマジョリティだからなのかもしれない。)


セクハラについては、「何がセクハラなのか教えてもらわないと分からない」みたいな感覚にならないのに、パワハラに関して僕は疎い。。

おそらくアレは確実にパワハラだったなという案件はひとつあるが、例えば演劇の現場における演出家の立ち振る舞いの何がパワハラなのか、何がパワハラでないのか、僕はまだうまく掴めていない。(ちなみに僕は「蜷川幸雄氏の演出はパワハラだ!!」と芯から言う人に会ったことがない。「あれはパワハラだよねぇ〜」と茶化す人はいるけれど。)



今でも思い出すだけで心がギュッと固まるような体験は、いくつかはある。


「あんなことで心がギュッとなるなんて、ナイーブ過ぎる」「演技が下手なのが悪い」

これらの言葉に対する反論を僕はこれから用意しようと思うし(うっすらはある)、同時に個人が個人で自らを自己肯定して、他者を裁かず、自らを守り、相手を助ける強さを持たねばと思う。

もちろん、そもそも俳優として素敵であろうと精進はする。けれど、自分が何を提出できたかできなかったかに関わらず、自らの誇りは自らで守らねばならないと思う。


「自己肯定をすること」

このことの大切さって、(少なくとも日本では)かなり蔑ろにされている気がする。

(このことについては今度改めて書こう)


(パワハラについては、単純に僕の知識不足もある)





些細な違和感を放置しないこと。


不愉快さを自らの未熟さにすり替えて我慢してしまわないこと。(そう思えるためにも知性はあるのだと思う)



哲学と勇気のある人で、俳優で、ありたい。

(あと、色気と知性とユーモアと愛情)

(あと、野性、気品)




まだ芽は出たばかり。

それでも心は満開でいたい。






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