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執筆者の写真ふじおかんたろう

無茶祭2023の12月と3月!!

更新日:2023年11月7日

今年の頭に、無茶祭2023の宣言をして、まず写真展『ふじお湯』を開催しました。


そして、もはや多くの方のご記憶にないことかもしれませんが、

無茶祭2023のチラシに私はこう書きました。


①写真展に挑戦する。
②海外戯曲2人芝居に挑戦する。
③作・演出に挑戦する。

無茶祭2023の宣言についてはこちら


※「無茶祭」=藤尾勘太郎が色々と無茶する企画




そうなんです。


無茶祭2023は、『ふじお湯』で終わりでは、全然ないのです。

まだ、二つも残っているのです!!



まじか、



なんなんだ!!


さすがに年内に二つは、もはや無茶を超えて無理案件なので、


2023年度内!に無茶祭を決行します!!!


②12月に海外戯曲2人芝居を!!


③3月に作・演出に挑戦します!!!



②については今月中に詳しく発表します。

③については年明けに発表します。


なので


12月の後半と3月の真ん中ぐらい、なんとな〜くあるんだなと思っておいていただければ幸いです。会場は全て東京です。




というわけで、無茶祭の準備中です。


無茶祭はいつも、準備中が一番不安です。

一人芝居、油絵、写真、そして次の二人芝居と作・演出、やることがバラバラだし、誰に「やれ」と言われたわけでも「やってくれ」と言われたわけでもなく開催することは、いつでも、とても怖いです。ジャンルがバラバラすぎて、経験値も蓄積されないし、一定の需要が常に見込めるとかそういうわけでもなく。ああこわい。


まして②と③が、これまでと違うのは、僕一人じゃないということです。

誰かを確実に巻き込んだ集団創作。うおおおおおおお。

準備や交渉の量が全然違うぞ!!!

自分なんて必要とされていないんじゃないかと、そんな思考の落とし穴に落ちたりします。


僕個人だったら、勝手に無茶してればよい。(無茶スタッフチームに無茶の片棒を担いでもらうことはありますが。)また、ひとりなら「この作品(企画)はおもしろくなるのだろうか?という不安(のようなもの)」を、とにかく作り続けることで解消すればよいのだけれど、集団創作の場合なかなかそうもいかないよなあとか。


この無茶祭②③のために、デザインのお仕事をたくさんお断りしてしまいました。

大丈夫なのか?俺?とかたまに思います。


などなど、決めなきゃいけないこと、なかなか決まらないことなど、もごもごと不安と重圧みたいなものが胸の辺りに渦巻いており、なんだか夜22時を過ぎ出すとネガティブ藤尾が登場したり、太陽が待ち遠しくなったり、でも、でもでも、いやいやいや待てよ待てよ待てよ待てよと。そうなると、な〜にか順番が違う。違う違う!




ワクワクするから無茶なことをするのだ。

無茶だからワクワクするのだ。

というか、ここで不安に飲み込まれるのは”普通”すぎる。あれ?

無茶祭ってそういう場なのか?


何を、失敗を恐れているのだ?

何を、評価を気にしているのだ?


先日急ピッチすぎる準備の不安を友人に漏らしたら、


いやいや、無茶祭というにふさわしい感じでいいと思うぜ!無茶してこうぜ!

とお返事が返ってきて、すごく救われたし、

ああ、そうだよな、と思いました。

この企画そもそもそういうもんなんだよなと。

(あと、「失敗が許される場の方が結果的に失敗が減る」的な統計を最近たまたま本で読んだのを今思い出しました。わかる気がする。)


僕は別に定石を踏みたくて無茶祭をやっているのではなくて、ワクワクの予感があるから、獣道だろうが進む、その先にきっとワクワクがあると、信じられた自分のその感覚があるのなら、確実にそこに何かはある!!!

よくわからないけれど、そのことについては信じているのだと思います。


その道の先にある何かは、小さな温泉みたいなもので、「この道をかき分けたらこんな温泉が湧きました。みなさんどうぞどうぞ。」と、そんなことがしてみたいのだなと思いました。

そして何故だか、地図を見れば確実に近場に温泉があると分かって行くことにはあまり興味がなくて、あるかないか確証がないけれど、踏ん張ればいける、ちょっと汗をかいて無茶をすれば届く、そんな場所に行ってみることそのものに興味があるのかもしれません。



『ふじお湯』の創作を思い出します。

あの時、僕はあの場所を、『ふじお湯』を、「湯船に浸かるような、心がほんの少しやわらかくなるような、そんなあたたかいワクワクが詰まった場所」にしたくて、そのゴールというか『ふじお湯』というつくりたい場所が、僕を引っ張ってくれた感じがした、そんな創作の体験をしました。


自らが指し示した言葉が、未来を作って、未来が現在を引っ張ってくれている感じ。

なんなんだろうあれ。


その辺りは『ふじお湯』の初期にも同じことを書いています。こちら



12月はもう2ヶ月後。正直言えば、スケジュール的には結構無茶な部分はありますし、時間が限られていること=無茶祭とかってことでも全然ないですが、それでも、今、決めないと、結局スケジュールに余裕があろうがなかろうが、決めないと動かないし、無茶祭2023と銘打ったのだからやはり年度内にねじ込もうと。


あと、多分なのですが、この②と③は私にとって、きっと、今、やっておいた方がいいことなのです。なぜかわからないけれど、避けて通れないやつというか、なんか「やれ」って言われている感じがするタイプのやつです。


その先に広がる景色の想像はつきません。


つきませんが、


それでも

なんというか

僕はやっぱり、植物みたいに生きたいと思っています。

獰猛で強く大らかで美しくのびのびとした植物。

互いの「好き」がスクスクと伸びるそんな場所を作りたいのだと思います。



心の傷を消そうとするのではなく、「あるなー」と受け止めて、

楽しいや喜び、ワクワクが芽吹いて、傷を優しく包み込み、気づけば見えなくなるほどに芽は伸びて。

そんな場所がつくれたら。

場所は言い過ぎかな、その手がかりが、種まきの香りが場所に漂えば。


天気のいい日、空気を吸うことで身体が空に溶けていくような。



やはり、ワクワクさんになりたい。ワクワクの交換会をしたい。


そして、ちゃんと遠回りをしたい。

「売れるため」なら当然とされているプレッシャーや覚悟みたいなものから離れて生活したい。ワクワクを優先するからいける場所がきっとあるはず。

そんなことを思っています。

(あ、そういう意味では無茶祭2023の仮チラシにて、②について「俳優としての全部をのっけたい」と書きましたが、今は若干気分が変わっています。というか半年前ぐらいから地味に変わっていました。その辺りはまたいずれ。)


互いに自立しつつ、互いの身体が笑顔になる、そんな場所を思って。




とは言え、心地よい無茶のために、参加してくれた方が、無茶に振り回されて疲弊してしまわないために、準備を続けます。行動します。ここはマジで!!!

あと、いうて「(限られた)時間」というものは人の心に結構直結して影響するので、そこも考えます。(最近、「技術」とは「時間」に直結する概念だと気づき、とても面白かったのですが、それもまた今度。)



世界は、思った以上に、自分の言葉通りになるから、なってしまうから、ちょっと僕のその先に想いを馳せてみました。


そして、無茶祭2023、気にかけていただければ幸いです。

幸いっていうかめっちゃ嬉しいです!!!








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