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  • 執筆者の写真ふじおかんたろう

①無茶セイムタイム【脱皮】

11月の頭から、ゆっくりと稽古をはじめて、あっという間に4週間が経つ。

時間の感覚が狂う。あと3週間。



僕の無茶祭の4つ目の企画。


これまでの無茶も、すべてがとってもチャレンジングであったのだけれど、やっぱり今回は位相が違う。僕一人ががんばればなんとかなるものではない。


そういう意味で、


この『無茶祭2023 その2 』は僕にとってすごく「冒険」なのだと思う。



稽古としては、今は「よし!!!みんな登山道具が揃ってきましたね!ルートの検討もなんとなくできましたね、方法論も見つかりました!さあ登っていきましょう!!」といったところ。

しかし、この4週間の間で、僕は多分何度も精神的に脱皮を繰り返している気がする。

それはごくごく個人的な内面レベルの話で、稽古場の無茶メンバーの皆さまにとっても、「え?そんなに脱皮してたの?」という感じなのではないかと思う。


演劇をつくりながら自分の話ばかりするのも少し気が引けるけれど、でもこの企画は演劇である前に”藤尾勘太郎の無茶祭”でもある。(もはやその企画としての入れ子構造が複雑で、広報としては情報が多いなとも思う。)


無茶祭は、いつも思い立ったが吉日と、とにかく無茶をしてみる企画なので、必ずしも準備万端、登山道具をしっかり揃えてスタートするわけではない。


初の演出を担当してみて、たくさんの発見があった。

僕は稽古前に「かっこつけない」「見栄を張らない」と決意して臨んだ。稽古をしてしばらくして気付く、「かっこつけないようにかっこつけていること」だったり「見栄を張らないように見栄を張っていることに」。ああ恥ずかしい!!

また、僕が演劇を続けてきたことによって、良くも悪くも僕の中にたくさんの演劇人が住んでいて、人それぞれ物差しは違う。僕は気付けば、そのたくさんのものさしを同時に使おうとしていた気がする。あるいはいつの間にか、いろんなお眼鏡にかなう作品をつくろうとしていたような気がする。

途中で、気づく。すべてなんて全然叶えられないし、そんな演出の技術も僕にはない!

いや、そもそも、技術の話じゃないな。自分が何を選ぶかなのだな。

僕が「こういうお芝居が好き」と思っていたものが、実はそれは自分が深く好きで心地いことではなくて、憧れからの派生だったり、俳優としては好きだけど、「自分が見たいもの?」「世界観」は、実は若干違うのかと気付かされたり。


僕は、自分の部屋のホワイトボードに「私の"トキメキ"は私しかしらない」と書いた。






結局、僕が"トキメク"こと、"ワクワク"すること、そこに向けて、がむしゃらに、みんなの手を借りて進むしかない。

言葉で書くと当たり前な気がしてしまうたくさんのことに気がついた。

「誰が何と言おうと勝手にしやがれだ。僕は僕がトキメク作品をつくる」言葉にするのは易しだぜと、思う。特に自分で作品を書いたわけでもないので尚のこと。


何というか、何度も倒れそうになって、起き上がってを繰り返して(稽古序盤で早いよ!!と我ながら思うけれど、そのぐらい僕にとっては挑戦だったのだ。挑戦なのだ。)、その結果、「ああ、やっぱりこの企画はお芝居の創作であると同時に、まぎれもなく『無茶祭』なのだと思うに至る。


最近は、他者と自分を比較したり、自分をジャッジしたりといったそんなことは、だいぶしない人生になっていたと思っていたのだけれど、さすがにはじめての挑戦へのこわさや、「○○せねば!○○であらねば!」と自らの役割へのハードルを上げまくったことで、気付けば他者との比較やジャッジがはじまったりした。

その山も、もう越えた。


今回のメンバーみんな、それぞれ、素敵だ!!

そして、僕もまた素敵だ。

誰かがもっている素敵な何かを僕が持っていなくとも関係ない。僕は僕で素敵だ。(螺旋階段を一周してようやくここに戻ってきた。)



僕には、トラウマはある。

そして、(もうだいぶ減ったと思っていたのだけれど)コンプレックスもやっぱりある。その上で繊細なたちだ。自分が心地よい環境に居続ければ、感じずに済んだ"恐れ"が四方からやってくる心地になったりした。これは稽古場で何かが特別うまくいかなかったとか、不和が生まれたとかそういう話ではなく、本当に僕のごくごく個人的な内面の話として。

僕は、がんばりすぎるのをやめた。というか、"こわさ"を養分にしてがんばることをやめた。"こわさ"から出発するがんばりは余計な思考を生み、頭が四角くなる。

その山もひとまず越えた。


自分が別に"つよく"ない人間であること。

けれど、そんな僕でも無茶な挑戦ができること。そのこと自体が僕以外の誰かにとっての、小さな"希望"になればいいと思っている。もちろん、やりたいからやっているわけで、その"希望"だってエゴなのだけれど、それでも、僕は"人は変われる"と思っているし、僕にできるなら、あなたにもできる、かも、知れないと思っている。



稽古をし始めて、そんなつもりなかったのに、実は僕は、演出家として、すごく「うまくやりたい!」と思っていることにも気づいた。なんというか語弊を恐れず言えば、「僕がいたから、この作品が完成した!」って結果になったら、”かっこいい”とか思っていたのだと思う。無意識のうちに。「藤尾勘太郎、演出の力量あるじゃん!」って言われたい、みたいな。


そこについても、意識がかわった。

そんなことできん!!!

というか、そんな演出の力量はない!(ないって言い切るのもまた違うのだけれど、「かっこいい!!」と言われるほどの圧倒的な何かなんてない!)はじめてだし、天才じゃない!

でも、力量はなくても、「(僕が)おもしろいと思うお芝居」には、きっとたどり着ける!なぜならみんながいるから。


稽古はじまってしばらくは、自分で何とかせねばと内心必死だったのだと思う。稽古場の進行や雰囲気や解釈や方針すべてをリードせねばと思っていたけれど、そんなのは、いいのだ。

頼りになるメンバーがいるのだ。


稽古に向けて頭で準備して体系化しようとするほど、頭で考えたことは、稽古場では、あまり役には立たなかった。むしろ頭で考え過ぎると、現場で僕の柔軟性がなくなるなと気づいた。頭を四角くするのはやめ。






「みんなでこの作品をつくりました」

と言葉で言う時に、どうしても込めたいニュアンスが足りない。なんというか、今回の企画、何をどうあがいても、みんなでつくっているし、それでいいのだ、それってすごく素敵なことだと、そのことに改めて気付けたというか、稽古序盤であっという間に、僕ひとりではつくれないということを思い知らされた幸福と言ったらいいか。こんなにも、「みんなで作っていいのか!」という発見というか。


でも、デザインしていても、実はそれは同じなのか。

たくさんの方のお力を借りながらデザインをする時、宣伝美術のクレジットは私だけれど、別に自分の功績じゃないと思ったりする。クリエイティブなチームがいたから、僕は方向性を示して、まとめただけ。みたいな。



そんな心地の無茶登山4合目。


この一カ月の間で、藤尾1→藤尾2→藤尾3→藤尾4と、なんだか、変容していった気がするのだ。藤尾4である今、藤尾2を振り返ると、当時はそんなことで悩んでいたのだなあと、2週間前の自分を振り返る。


無茶仲間のみんなに感謝、友人に感謝。



昨日の稽古で、この公演の道がひとつ見えた。

この1日は大きい。


「おっっっし!!!!!」と思った。



「このお芝居めっちゃおもしろいです!!!」と語るには、まだもう少し時間は必要だ。

けれど、そこにいく。みんなで。(まあ、お芝居っていつもそうだけどさ。大体直前になって、「おし!!きた!!」って段階に入っていく。



何度も脱皮をしていた時、「演出かくあるべし」と、自分で勝手に自らの『役割』のハードルを上げ、決めつけ、内心七転八倒していた私、とっても、『セイムタイム、ネクストイヤー』のジョージそっくりだぜと思ったのでした。

稽古場で、稽古場助っ人の康太郎さんが「(ジョージがダサいシーンで)俺もジョージみたいなところある」というなことを言った時、僕はその場で「僕もあるな〜」と言えなかった。恥ずかしかったのだと思う。そういうところもジョージ!!!あーあ。恥ずかしい。

考えたってしょうがないことで悩んでしまったりする。そういうところもジョージに似ている。


自分のことばかり書いてしまったけれど、今、書いておきたかったこと。

そして、お芝居も人生もそうだけれど、これらは全て人間関係と密接に結びついていること。だからこそ、冒険で挑戦であるし、僕は、今回のこの座組がもちろん好きだし、どんどん好きだ。どんどん好きだ。



書きたいことはまだまだある。

作品・物語のこと、稽古のこと、新訳のこと、美術関係のこと、無茶仲間のこと。

また書きます。


ここまで読んでいただきありがとうございます。ここから作品は日進月歩、毎日変化し続けていくと思います。





最後に、、


チケットのご予約の波が止まりました!

競合揃いの12月!!!

大忙しの師走!!!!


やばい!観てほしい!みんなで、無茶しているから!観てほしいー!!

きっと、この公演が、『無茶祭』であることの意味も、当日そこに立ち現れると思っているし、リーディング仕立てならではの魅力も出現させられそうです。


みなさま、この機会を無茶祭、に遊びにいらしてくださいませ。

ご予約はこちら



なお、多分3月の無茶を終えたらしばらく無茶祭はやりません。あるいは、無茶祭という企画そのもの、ここで全部やりきるぐらいの気持ちでいるというか、そんなモードです。


ではまた。




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