ムシラセ『眩く眩む』無事全ステージ終了しました。
ご来場してくださった皆さま、気にかけてくださった皆さまありがとうございました。
宣伝美術やって、舞台美術やって、Tシャツのデザインをして、俳優して
関係ないけど並行して他のデザイン仕事もして
流石に人生MAX値でフル稼働しました。リアル神崎玄状態でした。(あ、ご覧になられてない方、僕の役名が神崎玄です。あの人めちゃくちゃな量働いてます。)
我ながら人に全くおすすめできない、もうやらないハイパー稼働モードでしたが、どの仕事も全て、一つとてクオリティを落としたくなくて、そこはもう、なんというか、気力で、同時に「なんだこれは神崎の役作りでもしてんのか?」と思いながら生き抜きました。
公演に向けての意気込み、経緯などは、以前書いたので、そちらをご参考に。
あーーーーおわったーーーーさすがに疲れた〜〜〜。
半年以上ぶりの俳優業。
最近は、デザインでの露出が増えて、俳優藤尾を知らない方もきっと増えてきていて、もはやあんまり俳優として売れたい!!みたいな気持ちもなくなってきていて、どーすっかなーなどと考えていたのですが、さて。
久しぶりにがっつり俳優をやり、僕の感想としてはですねえ
僕もっと俳優やった方がいいな!!!
俳優としての藤尾もやっぱりおもしろいわ!!!
です。
宣伝美術家としての藤尾も結構おもしろいと思っています。
でも、やっぱり、俳優の藤尾も同じぐらいおもしろくて特別だわ!!
そんなことを思いました。
基本的に、俳優としての自信があるかと聞かれれば、、うーーん、半々ってとこです。
反省点?改善点?もっと先に行けることはわかっているし、そんなの当たり前だけど、
それでも、僕が俳優であることで生み出せるものがきっとある、そう思えたお芝居でした。『眩く眩む』は。
僕は、このお芝居『眩く眩む』は、とても面白いと思っていて、神崎玄の名前を僕は忘れないと思うし、というかまたやりたいし、評判もよく、しかし客席が完全に満杯にはならなかったなあ、悔しいなあって気持ちと同時に
もったいな!!!作品も俳優藤尾も見てくれよ!もったいな!!
と、思いました。
不遜ですね。
でもどこかで、「僕、俳優としておもしろいんだけどなあ、注目されないのもったいな!演劇界!」とたまに本気で思っています。まあ、売れたければ心して売れようとすればいいだけとも思っているし、なんだかまだそのエンジンが回転し出さないのと、僕はもうがんばって売れようとかそういうのはいいやとやっぱり思っているのだと思います。「演劇は最高!」「俳優って仕事は最高!」と語りながら演劇畑をかき分けて生きていこうと、あまり思っていないのだと思います。
そもそも、今回久しぶりにがっつり芝居して、「芝居ってなんて疲れるんだ!!!」とも思いました。そのぐらい精力を注いだってことはもちろんあるけど、稽古場はたくさんの人がいます。それだけで疲れますね。コミュニケーションの巣窟!!
まして売れようとして、仮に売れてガンガンのプレッシャーの中で「さあ、お前の実力を見せてみろ」みたいな圧をかけられながらお芝居するのにも疲れたので、うん、僕は僕のペースで、楽しくやれたらと、やっぱり思っています。結果的に露出は増やしたい。僕は僕のやり方でやる。あ、でも、やるなら思いっきり、優しく敬意を持ってそして手加減無用。
さらに話は脇道に逸れて、
僕はもう、俳優としても宣伝美術家としても、その他諸々全てにおいて「もうプロフェッショナルになろうとしなくていいや」と、その点については匙を投げています。だいたいプロってなんだよと思うし、僕はその言葉を使って必ずしもモチベーションは上がらないので、もういいやと。その代わり、僕は僕のプロみたいなものではありたいなと思うのです。生きて暮らす、自分を生かして他者を生かす、小さな場所から、小さな場所だけでも。
俳優でも宣伝美術家でも画家でも写真家でも舞台美術家でも、ましてや芸術家でもない、そんな場所で生きたいと思っているのだと思います。楽しくやってるうちは勝手に集中しちゃうし、自分が感動できる仕事しないとどっちにしろ自分がゲ〜〜〜〜ってなるから一緒。
正直、僕には現代のロールモデル的な、憧れる現代人があまりいません。レジェンド級の人で憧れる人はいるけど、現代って言葉とはちょっと合わないような。というか、多分「大人」のロールモデルがいない時代だよなあと思います。
「こうすれば正解」とか「これやってるやつはバカ」みたいに断言する人たちが、まるで現代のロールモデルみたいにもてはやされていらっしゃいますが、僕はちょっと(いやかなり)危険だなあと思っています。
僕は、別にロールモデルになりたいわけでもないけど、効率や利益以外のものを、自分にとって大切で好きなことばかりを優先して、夢も持たずに好き勝手生きたら、変な場所に辿り着いて、なんだか楽しい、みたいなそんな生き方をしてみたいのだと思います。というか多分そうなります。そんな前例があったらいいなと僕は思っていますし、なります。昔はそんな前例たくさんあったよ、という声が聞こえてきそうですが、僕は現代”で”、そう生きたいのです。「他者の傷口を少し踏んだぐらいで死にゃあしねえ、強くいきやがれ」で全てが済んだ時代ではない場所に僕は立っていて、他者の傷口を踏みつけないことは時代の要請ってことだけじゃなくて、僕が選んだことだからです。現代だからそうさせられているのではなくて、現代だから選べたことを自分の意思で選んでいます。
スーパースターはかっこいい、けれど多くの場合、スターの足の下にはたくさんの痛みが眠っている。いつまでもスターの不在を嘆いてもいられないと思う。
好き勝手やる。その代わり、感謝と恩返しをしながら、定期的に謝ったり泣いたり後悔したりしながら生きていきます。
さてすっかり話は逸れましたが、
話を『眩く眩む』に戻して
私が言いたいことはですね、
ってことです。
正直、「生で観てほしかった〜〜〜〜」って気持ちはあります。
僕は自分が出演した舞台の映像は一年ぐらいは恐ろしくて観れませんが。。。
僕は保坂に「俳優としての寿命がのびたよ」と伝えました。
あと保坂含め数名の方に「お前は(あなたは)もっと俳優やれ」と言われました。
嬉しく、ありがたいことです。
なんだかんだ僕は定期的に、そんな言葉を誰かからもらって俳優として生きています。
俳優としてたま〜〜にあるのです、あ〜〜これは忘れないなという体験が。
もちろんあらゆる、参加した作品に思い入れはあります。
けれど、たとえば僕は、犬と串時代の『プラトニック・ギャグ』の役名も展開も作品の質感も、台詞の一部もなぜだかずっと忘れずにいたりします。それは、僕にとってはじめて「自分がこの役をやることに、すごくちゃんと意味が生まれた」そう思えたからかもしれません。
今回の、神崎玄もそんな感じです。
というか保坂には終わってから「この役は勘太郎にしかできない」的なことを言われました。(僕は「そうかなあ?」とか答えました。いまだに半分は「そうかなあ」と思いつつ、でも、「僕にしかできない」に近い場所にはいけたかなと思います。)
まあ、当て書きってとこは多分にあるけど、この役と作品と、登場する全ての役に出会わせてくれてありがとう。全ての登場人物がキャストが愛おしい。
俳優として、登れる先はまだまだまだまだあって、
神崎もまだまだまだまだ先があって、
そこにいる、相手と芝居する
が、お芝居の基本のキだけれど、
それだけだとアニメーターの生きる世界が成立しない気がして
そこじゃない場所に自分の核を見出しているような人たちだと思っているので
その辺は、あれやこれや試しました。
メモ:言葉は下昇呼気にしないけれど、当てたい時以外はちゃんと当てない
多分天才は普段声帯を緊張させない(やってみた実感)
まだまだやりたいし、やれることはたくさん、というか永遠
だから、そんな自分の芝居を、映像で、ご覧いただくことに怖さもあるのだけれど、
映像逃すとまあ完全に観られないので、4カメなので、ご覧いただければ、やっぱり嬉しいのです。
うん、怖いけど、でも、
観てくれ!!!
と思うのです。
俳優藤尾勘太郎の寿命が伸びたお芝居です。
[販売期間]~9月21日(木) 23:59まで [配信期間]9月21日(木) 0:00~10月5日(木) 23:59 ※配信期間中のお好きなタイミングで14日間視聴可能
上演時間は約95分
集団創作のクオリティとハラスメントの話。あと天才と凡人の話。
僕は天才アニメーターの神崎玄さんでした。赤城が友達。
アニメ制作現場のお話。
ハラスメントの痛みについて、観る方によっては激辛料理です。
アマデウスとか好きな方にもハマるようです。
輝蕗ちゃんとともに制作した舞台美術。
線画はマッキー。
長〜いの、読んでいただきありがとうございます。
あれやこれやに手を出しながら、ワクワクと生きて、ワクワクのお裾分けをしながら生きていきます。
21日までのワクワクもどうぞ。
せっかくここまで読んでいただいたので、何かのご縁だと思って。
進んだり倒れたりしながら、それでもいいやと、参りましょう。
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